日本泌尿器科学会の歴史

わが国では明治初期、近代医学の範をドイツに求め、泌尿器科学も明治30年代初頭に皮膚科学と共にもたらされた。それゆえ本邦における泌尿器科学は第2次大戦後まで皮膚科学との結びつきが強く、講座も各医学教育機関において皮膚科泌尿器科学教室として存続してきた。したがって、日本泌尿器科学会も、当初は皮膚科学会と密接に関係していた。日本皮膚科学会は、その前身である皮膚病学会を明治33年12月に設立し、明治34年4月に第1回総会を開催し、同年3月には機関誌として「皮膚病学及泌尿器病学雑誌」(第2号から「皮膚科及泌尿器科学雑誌」と改称)を創刊した。泌尿器科に関する業績は、その総会及び例会で講演され、その雑誌に掲載された。

欧米においては、泌尿器科学会が相次いで設立され、また明治41年には国際泌尿器科学会が誕生した。日本においては泌尿器科が皮膚科学会に包括されていたことから、在野の独自に西欧に留学して泌尿器科学を修めて帰国した外科出身の医師が中心となって、泌尿器科独自の学会設立を目指した。明治45年1月には日本泌尿器科学会設立のため第1回発起人会を開催し、同年4月日本泌尿器科学会の前身である日本泌尿器病学会を設立し、第1回総会(学術大会)を開催した。

大正元年10月には日本泌尿器病学会雑誌(昭和3年第17巻から日本泌尿器科学会雑誌と改称)第1巻第1号が創刊された。

昭和3年4月には日本泌尿器科学会と改称した。

昭和4年4月第18回日本泌尿器科学会総会から日本皮膚科学会と相提携して共同で開催したが、昭和31年4月第44回日本泌尿器科学会総会から日本皮膚科学会とは、夫々が別個に独自開催し、泌尿器科に関する領域は完全に独立し、平成3年8月社団法人が認可され、現在に至った。

この間、昭和61年には日本泌尿器科学会専門医制度を発足させ、平成6年から和文誌に加え英文誌International Journal of Urology を発刊した。